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2009/02/18(水)

良いプレゼン悪いプレゼン[]

タグ: レビュー

この本を読んだきっかけ

会社の図書室に、後藤文彦の『良いプレゼン悪いプレゼン』という本が新しく入っていた。文章の書き方や、発表の方法に関することには興味があるので、借りることにした。

この本と、ほぼ同じ内容のものが、良いプレゼンと悪いプレゼンとしてWebで公開されている。先に知っていれば、本を借りることはなかっただろう。

プレゼンの考え方には共感できる

まず、どのようなプレゼンが望ましいかという基本的な考えについては、おおむね共感できた。いくつかを挙げる。

  • スライドは図を使って視覚的にわかりやすく
  • 発表は、くだけた話し言葉のほうが伝わりやすくてよい
  • 1枚のスライドに対して1分で説明するのが目安
  • 原稿は要点をまとめたメモ程度で、読み上げない
  • 1行が20文字以上、または1行10文字以上で2行以上の文章は避ける
  • アニメーション機能をむやみに使わない
  • 耳で聞いてわかりにくい熟語や略語は避ける
  • パソコンに張りついていてはいけない

特に強調しているのは、2つめの「話し言葉で発表しよう」ということ。それ以外は、一般的によく言われていることが多いと思った。

何でも話し言葉にすればよいのか

話し言葉で発表することには共感するが、筆者はそれを、この本の文章にも使っている。「とか」「というか」「みたいな」「なんか」というような表現が頻繁に出てくる。日常会話では普通に使われる言葉だが、この手の書籍で目にすると、乱れた日本語にしか受け取れない。「とか」程度なら許容したいところなのだが、以下のように、とにかく多い。

まあ、マイクとかを使える会場ならそれでもいいのだが、通常の学会とかでは、大学の講義室とかを使ってマイクなしで行われることの方が多い。その場合、実際問題として、普段、友達とかにしゃべっている程度の声しか出さなかったら、後ろの方の席の人には、ほとんど聞こえない。

親しみやすさを重視して、このような書き方にしているのかもしれないが、私には幼稚な文章に見えた。いちいち気になるので、思考の妨げにもなって逆効果だ。

このような話し言葉や、「ええと」「まあ」という言葉を、ニュース番組にも取り入れたほうがわかりやすいと筆者は言っている。バラエティ寄りの番組ならかまわないが、それをNHKのニュース番組にまで取り入れてほしいとは思わない。NHKのニュース番組には、事実を淡々と伝えてくれるという期待がある。それが話し言葉になったら、正しい内容だとしても、信憑性が薄れてしまうだけだと思う。

あえて間違う意図がわからない

本来の意味でない「確信犯」をわざわざ使ったり、「ですます」と「である」を意図的に混在させたりすることに悪意を感じる。筆者は、わざと使っているのだということを注釈で述べているが、毎回そんな言い訳をするつもりなのだろうか。そんなことをするくらいなら、最初から誤解されないように書けばよいのに。

「わかっていてやっていますよ」と注釈を入れるのは、本来の意味を知らないと思われるのが怖いからだろう。そして、きちんと知識があることをひけらかしたいようにも感じる。こういった、余計な感情を読者に与えるのはよくない。あえて物議をかもす言い方をする必要はないのだ。

どこを見ても括弧だらけ

最も気になるのが、括弧が多すぎることだ。括弧のないページを探すのが困難なくらい多い。最初のコラムで、筆者もそれを認めているが、改めようとはしない。括弧と注釈のバランスの話があるが、そういう問題ではない。括弧や注釈が多くなること自体が問題なのだ。以下のくだりで、それに気づいてはいるようだ。

というより、そもそも括弧による補足説明だの注釈をできるだけ使わずに説明するのがよいという考えもあるかもしれないが、私は文章情報の各部がどれだけ要点や文法構造に寄与しているかに応じて、要点や文法構造に大いに寄与する骨組の部分と、要点には寄与しないけれどもそれなりに重要な情報のこともある補足説明的な部分とを括弧や注釈を使って数段階に分けておくのがそう悪いことだとは思わない(関係代名詞などによる補足説明がいっぱいくっついていて、どこが主語だか目的語だかわからないような英語の長文とかを読んでいると、補足説明的な関係節とかは括弧でくくってくれたら、もっと文法構造が見えやすいのになんて思うことはある。まあ、コンマコンマが括弧の代わりなのかもしれないが)。

説明もまたこんな調子で、やはり括弧は欠かせないらしい。それよりも、一文が長すぎるので、そこをまず改善しないと読みにくい。

実際に括弧が使われている例を、いくつか挙げる。

  • 英語が得意でない発表者はいっぱいいる(まあ、国際会議によっては、参加者のペラペラ率の高いとこもあるのかもしれないが)
  • まずいない(たまにいるんだけど)
  • わかりやすさに雲泥の差があると思う(後者がわかりやすいという意味ですよ、念のため)
  • 一定の効果があるだろう(たぶん)
  • 沈黙されるよりはよっぽど好感が持てる(私は)

上から2つは似たタイプで、括弧があるにせよないにせよ、こういう書き方を多用する人はよくいる。何か意見を述べたあとに、「まあ、○○なんだけど」「いや、○○なのかもしれないが」のようにつけ加えて、いちいち例外を言ったり、明言を避ける表現を使ったりするのだ。歯切れが悪くて、読んでいてすっきりしない。なぜこうしたがるのか、理由はだいたいわかる。

  • 全部書かないと気が済まないから、あるいは正確に伝わっているか不安だから
  • きちんと例外まで述べて、そこまでわかっていることをアピールしたいから
  • 一方的な意見ではないことを理解してもらいたいから
  • 読み手からの細かいツッコミを防止したいから

きっとこんなところだろう。この手の文章の、不快さの原因が、suchi todayの2005/12/09でも挙げられている。私の意見と非常に近い。

話を戻すと、3つめの「念のため」も、この本にはよく出てくる。私には、どれも蛇足としか思えないのだが、きっと誤解されたくないという気持ちが強いのだろう。それなら、最初から誤解されない文章にすればよい。「わかりやすさに雲泥の差がある」で、後者がわかりやすいことが読者に伝わっているのか不安なら、「後者のほうが圧倒的にわかりやすい」にすれば、括弧を使わなくても済む。

筆者は、思いついたことをどんどん文章にしていって、説明不足だと感じた部分を括弧で補足する書き方をしているのではないだろうか。そんなやり方ではなくて、最初に書いた文章をもっと推敲してほしい。筆者自身も、「推敲時間が短いほど括弧が多くなる」と認めている。それなのに、括弧が多いまま本になっているということは、「手抜きをしています」と宣言しているようなものだ。

4つめと5つめは、目障りに感じる。「だろう」という表現のあとに、「たぶん」と書き加えることに、何の意味があるのか。また、「好感が持てる」という表現は、個人的な意見としか受け取りようがないので、「私は」とつけ加える必要がない。もし、自分自身の意見であることを強調したいのなら、きちんと文の中に入れるべきだ。

ここまで記事を書いてきて、私自身の文章には一度も括弧が出てきていない。必要がないからだ。括弧で補足しなければならないところがいくつも出てくるのは、その文章に問題があるからだと私は考える。

段落が少ない

括弧のこと以外にも気になる点がある。1ページに、2つか3つ程度しか段落がないことだ。つまり、ひとつの段落が非常に長い。本をパラパラとめくると、なんだかダラダラと書いてあるなという印象を受けるのは、そのせいだ。こういう本は、サッと要点が頭に入ることが重要なのに、このまとまりのない文章を、いちいち読まなければならない。

スライドを作るときは、簡潔に短い文で表現するのがよいと言っているのに、良いプレゼンと悪いプレゼンについて、Web上や書籍で説明する場合は、そんなのおかまいなしでよいのだろうか。もっとふんだんに、図表や箇条書きがあったほうが読みやすくなるだろうに。

『理科系の作文技術』の、「事実と意見」を参考に書かれている部分がある。せっかくその本を読んだのなら、「事実と意見」の章の前後にある「はっきり言い切る姿勢」と「わかりやすく簡潔な表現」も参考にしてもらいたかった。

まとめ

プレゼンについての考え方に、納得できるところはいくつもあった。しかし、その説明の文章が、私には気になって仕方がなかった。「スライドは簡潔にまとめるように」と言われても、括弧だらけで、長ったらしい説明では、説得力がないと感じた。

余談だが、この本の評判をAmazon.co.jpで確認したら、筆者自身がレビューをしていた。そういう使い方をする場ではないと思うのだが。

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